実在する名刀の名前wwwwww
6:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:05:01 ID:Ffg
由来がまた怖い
大友氏から足利尊氏に献上された時に、すでにこの号がついていたという。
対面し斬る真似をするだけで骨まで砕かれるほどの凄まじい切れ味のために号したという。
戯れに切るまね致すにも先の者の骨を砕き死する
http://meitou.info/index.php/骨喰藤四郎(ほねはみ)
9:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:05:49 ID:Ffg
名前間抜けだけどすごいんだよな
21:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:16:25 ID:wt2
切った女の幽霊がにっかり笑ったんだっけ?(刀剣乱舞並感)
26:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:25:24 ID:Ffg
確かそんな感じ
幽霊切ったら後ろの石灯籠がまっぷたつみたいな
備中青江派の刀工・青江貞次の作とされるもので、元は2尺5寸(約75cm)の太刀だったが、2尺(約60cm)の刀、さらに1尺9寸9分にまで磨りあげられた。 名称の由来は、にっかり笑う女の幽霊を切り捨てて、翌朝確認をしたら石塔が真っ二つになっていたという伝説による。
https://ja.wikipedia.org/wiki/にっかり青江
11:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:06:49 ID:Ffg
いまいち
11:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:06:49 ID:Ffg
子供切ったのかと思うよなその名前
清和源氏の嫡流である源頼光は、丹波国大江山に住み着いた鬼・酒呑童子の首をこの刀で切り落としたという。「童子切」の名はこの伝説に由来し、享保4年(1719年)に江戸幕府第8代将軍徳川吉宗が本阿弥光忠に命じて作成させた、『享保名物帳』にも「名物 童子切」として記載されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/童子切
13:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:07:21 ID:Ffg
雷切という日本刀がモチーフと思われる。豊後の戦国大名大友氏の家臣であった立花道雪(戸次 鑑連)が木の陰で雨宿りをしていた際に、落ちてきた雷を持っていた千鳥という刀で切ったことからこの刀の名を千鳥から雷切に改めたとされている。 千鳥から雷切に名前を改めたことや雷を切ったというエピソードもそのまま使用している。ちなみに道雪が実際に雷を切ったかどうかは定かではないが雷に打たれ半身不随になりながらも生きていたため人々は道雪が雷を切ったと噂したと言われている。
http://narutonti.com/雷切
16:(#´Д`)ペッ◆9GsWtWBAHo:2015/08/02(日)21:10:39 ID:2FA
19:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:15:09 ID:Ffg
洒落おつ
25:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:24:53 ID:I8a
福島が酔っ払って森さんにあげたやつやろ?
酒席で、黒田家家臣・母里友信に酒を大杯で勧め断られたが、「飲み干せたならば好きな褒美をとらす」とさらに勧め、「黒田武士は酒に弱く酔えば何の役にも立たない」と罵倒した。家名を貶められた母里友信は、元々酒豪だったため酒を見事に一気飲みした。そして褒美に秀吉から拝領した名槍「日本号」を所望され、正則は不覚にも家宝の槍を呑み取られることになった
https://ja.wikipedia.org/wiki/福島正則
29:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:29:22 ID:I8a
解号めっちゃすき
『万象一切灰塵と化せ』
31:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:35:41 ID:uAM
かっこよすぎ
30:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:31:53 ID:7ZG
槍を立てていたところに飛んできた蜻蛉が当たって二つに切れたことからその名がついたという
蜻蛉切(とんぼきり)は、戦国時代の武将本多忠勝が愛用した事で知られる天下三名槍と呼ばれた槍。 笹穂の槍身で、穂(刃長)1尺4寸(43.7センチ)、茎1尺8寸(55.6センチ)、最大幅3.7センチ、厚み1センチ、重さは498グラム、樋(刃中央の溝)に梵字と三鈷剣が彫られている。三河文珠派、藤原正真の作。 名称の由来は、戦場で槍を立てていたところに飛んできた蜻蛉が当たって二つに切れたことから、その名がついたという。通常の槍は4.5メートルほどであるが、柄の長さ2丈余(6メートル)であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/蜻蛉切
32:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:36:30 ID:arz
武蔵と決闘した「舟島」は「巖流島」と名を変えられ、この勝負はのちに「巖流島の決闘」と呼ばれるようになった。吉川英治の小説『宮本武蔵』では、「武蔵が決闘にわざと遅れた」となっているが、これは『武公伝』に材を採った吉川の創作である。 武蔵の養子で決闘に立ち会った目撃者である宮本伊織が、武蔵の死後9年目に建立した小倉の顕彰碑「小倉碑文」によると、「岩流」は「三尺の白刃」を手にして決闘に挑み、武蔵は「木刀の一撃」でこれを倒したとある。このときの武蔵の必殺の一撃は「電光猶ほ遅きが如し」と表現されている。また碑文には「両雄同時に相会し」とあり、武蔵は遅刻していない。 関係者がすべて死んだ後に書かれた『二天記』では、「岩流」は「佐々木小次郎」という名になっており、この決闘で刃長3尺余(約1メートル)の野太刀「備前長船長光」、通称「物干し竿」を使用、武蔵は櫂を削った2尺5寸と1尺8寸の木刀2本を使い、これを破ったとある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐々木小次郎
34:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:40:11 ID:0d6
あるときこの刀を持った侍が敵を切り付けたところ、手応えを感じたにもかかわらず斬られた僧は念仏を唱えながら何食わぬ顔で歩いていったという。 不審に思った侍は、刀を杖代わりに地面につきつつ敵を追跡したところ、道端の石が刀に刺さり、まるで串に刺さった団子のようだったという。そしてその僧は、八丁(約870m)ほど念仏を唱えつつ歩いたところで真っ二つとなり絶命したという。 信長を鉄砲隊で苦しめた雑賀衆の鈴木孫一の佩刀とも伝わる。
http://meitou.info/index.php/八丁念仏団子刺し
15:名無しさん@おーぷん:2015/08/02(日)21:08:50 ID:Ffg
引用元:実在する名刀の名前wwwwww