1:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:35:35.32 ID:2+O5PUGL
普段はあまり見かけない珍しい理由や、
今ではあり得ないとんでもねえ中止理由を集めてみた。
(解説入りやで)
3:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:36:02.43 ID:2+O5PUGL
2(遊)飛行機・新幹線欠航
3(右)選手会のストライキ
4(中)戦争
5(一)ファンによる球場破壊
6(三)地震
7(左)道具が無い
8(捕)高校野球に押し出し
9(投)選手の勘違い
解説行くでー
8:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:36:30.84 ID:4h74gBw6
13:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:36:52.60 ID:B93Nq3Uj
15:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:36:54.98 ID:duQ86f3P
17:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:37:07.16 ID:2+O5PUGL
「ノーゲーム」や「コールドゲーム」は含まんで!
20:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:37:25.67 ID:2+O5PUGL
今では「鉄道会社のストライキで電車が動かず通勤がメチャクチャに」なんて事は、不景気も重なってほとんど耳にしなくなったが、 60~70年代は過激派がやりたい放題やっていた時代で、国鉄労組に過激派が入り込んで春になるとダイヤはしっちゃかめっちゃか。
お客さんそっちのけで自分達の要求・主張を通す為、今日も明日もストライキに遵法闘争(=規則をバカ正直に守ってわざと電車を遅らせる)。
勿論、1962年以降西に向かって続々と開通した東海道・山陽新幹線もまったく例外ではなく完全に止まってしまう。
昭和30年代以前ならともかく、在来線やバスでそう易々と選手が移動できるものではない。仮に移動できたとしてもコンディションは最悪である。
一時期は「33-4=何でや!」と同じぐらい「国鉄=ストライキ」という印象を国民に強く、強~~~~~く植え付けていた。
その影響もあって、1959年に1試合中止、1965年に1試合中止と「ごく稀に野球日程にも影響がある」程度だった国鉄ストライキでの試合中止は、1971年~78年の間に合計31試合が中止に追い込まれている。酷い時にはセリーグの全カードが中止になったり、もう(日程が)メチャクチャだよ……。
1978年4月26日の近鉄-南海戦が中止されて以降、国鉄ストライキによる試合中止は発生していない。遠方への移動手段が飛行機へシフトした影響もあるだろう。
27:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:38:07.21 ID:2+O5PUGL
国鉄労組によるストライキは作為的なものだが、ストライキが無くなった代わりに出てきたのが新幹線や飛行機の運転見合わせによる中止である。
例え試合を開催するスタジアム周辺が晴れていようがドーム球場だろうが、選手の乗車地や経由地が土砂降りの豪雨で運転を見合わせたり、 停電事故復旧作業が間に合わなかったり、例え乗っていても途中で立ち往生して新幹線の中にカンヅメにされてしまったり。
飛行機は雨や雪に加え風が強くても飛ばなくなるし、重大事故を防ぐ為ちょっとの機体以上でも遅れたり飛ばなくなったりすることがある。
1990年8月10日の巨人-中日戦は、東京ドームでの開催にもかかわらず台風の為新幹線が止まり中日の選手が名古屋から出られなくなって中止に。
東京ドームは後にも数試合、台風が直接的に試合中止に追い込んでいる。
32:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:38:30.99 ID:L7ncI+69
35:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:38:45.62 ID:4h74gBw6
国鉄ンゴwwwwww
41:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:38:59.67 ID:2ha7pld2
42:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:39:08.30 ID:2+O5PUGL
2004年の球界再編騒動による余波、選手会が起こしたストライキによる中止である。
野球好きのなんJ民なら全く知らないなんて事は無いと思うので騒動の詳細については省略するが、球団合併・1リーグ化に反対する選手会が、 経営陣との幾度かの話し合いも平行線に終わったため最終手段として繰り出したのが、公式戦のストライキであった。
興味深いのは、メジャーでもストライキで公式戦が中止になったことはあったが、ファンの支持が日本とメジャーとでは正反対だったことである。
1994年に起きたメジャーのストライキは主に年俸に関する争議であり、「金の為に試合中止とかなめとんのか」とファンにそっぽを向かれ、 メジャーリーグ人気の低迷に拍車を掛けてしまい結果的には自分達で自分達の首を絞める形になってしまったものであるが、 日本での場合は「球団合併に反対する」という名目のストライキであり、選手達の為でもあり、ファンの為でもある苦渋の決断。
突然の合併発表からマスコミやネットなどを通して逐一、選手会の奮闘ぶりはファンの耳に届いており、ストライキに賛成するファンがほとんどだった。
試合が無い代わり、選手による球場外での即席サイン会や選手イベントなど、いつもの野球とは違う催し物を用意して対応した。
※なお、これらの試合は記録上「最初から存在しなかった試合」として扱われるので、アニキの連続試合出場も途絶えることはなかった。
43:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:39:19.87 ID:/O+GqXJE
45:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:39:27.78 ID:Sy+ZaRks
49:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:39:44.90 ID:m4yB5FaM
50:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:39:45.07 ID:2+O5PUGL
NPBの前身である日本職業野球連盟が発足した1932年以降、たった1年を除き(試合数の差はあれど)日本プロ野球は毎年必ず開催されてきた。
しかし戦争という大きな力には抗えず、戦火激しくなった1945年のみ1年を通じて中止された。そして戦時中には、空襲で開催中止された試合が存在する。
1942年4月18日、アメリカの爆撃機による初めての空襲が起きた。この時空襲を受けたのは、東京、川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸。
この時運悪く、東京の後楽園球場で巨人-黒鷲(=イーグルス。現在の楽天イーグルスとは無関係)戦が開催されようとしていた。
試合開始前に空襲警報が発令されるという前例のない事態により、開催直前にこの試合は中止が決まった。しゃーない。
また同じく4月18日と21日に、別の場所で開催されていた試合が、試合中に空襲警報が発令されたことにより途中で打ち切りとなった。
この事態を受けて日本野球連盟(これもNPBの前身)は、空襲警報発令時の対応マニュアルを作成し、戦時中の試合開催に役立てられることとなった。
51:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:39:56.52 ID:Fpz5sooS
53:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:40:23.56 ID:BJGptM2v
1(二)国鉄労組のストライキ
2(遊)飛行機・新幹線欠航
3(右)選手会のストライキ
4(中)戦争
5(一)ファンによる球場破壊
6(三)地震
7(左)道具が無い
8(捕)高校野球に押し出し
9(投)選手の勘違い
63:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:41:06.09 ID:7ntarBU+
wikiに「天候不順以外で中止・打ち切りになった日本プロ野球の試合」の項目がある
http://ja.wikipedia.org/wiki/天候不順以外で中止・打ち切りになった日本プロ野球の試合
61:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:40:55.16 ID:2+O5PUGL
事の始まりは1964年6月30日、広島市民球場で行われていた広島-阪神戦での出来事だった。
2回裏広島の攻撃、無死1,2塁。阿南準郎(広島)が送りバントを打ち上げてしまい、石川緑投手(阪神)が地面スレスレで捕球。
走者が二人ともは飛び出していて、それを見た阪神選手は次々に転送してトリプルプレー成立……かと思いきや、一塁塁審はアウト、球審はフェア。
「フェアって言われたから走ったのに、それでトリプルプレーとかどういうことだよ。1死1,2塁から始めてくれよ」と広島側は猛抗議。
抗議が延々と続き、いつまで経っても試合が再開される兆しが見えない。それどころか審判からの説明もゼロ。ファンも次第にしびれを切らしてくる。
そしてそれから2時間29分が経った頃。ようやっと抗議が終わり、審判団が場内にアナウンスをした。
「ノーゲームにします」 イライラの頂点に達していた広島ファンはその一言でついにブチ切れ、大挙してグラウンドへ雪崩れ込んだ。
フェンスは無残に薙ぎ倒され、防球ネットもメチャクチャ、選手ベンチや放送室の機材もボッコボコに破壊、さらには放火する者まで現れた。
……被害総額、500万円超。大卒初任給の平均が約2万1~2千円だった時代に、である。当然のことながら、この試合は試合途中でノーゲームとなった。
あまりにも被害が甚大だったため、7月1日・2日に開催される予定だった試合は急遽中止。広島東洋カープの黒歴史と言っても過言ではないエピソードの一つ。
80:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:42:01.41 ID:ds6Kt2XC
73:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:41:25.44 ID:njEfeimR
74:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:41:27.49 ID:2+O5PUGL
記憶にも新しい出来事。
2008年6月14日午前8時43分、最大震度6強の岩手宮城内陸地震が発生。Kスタ宮城のある仙台市宮城野区でも震度5強を観測した。
その日は14時から楽天-巨人戦が開催される予定だったが「行き帰りの交通が確保できない」との理由で中止が決定。
地震が原因で試合が中止になる、という出来事は日本プロ野球史上初めての事だった。
(なお当初、地震後に球場に来て並んでいたファンに向けて「開始時間を遅らせて開催する」という旨のアナウンスがなされていた。 露店も通常通り営業している店もあり、集客の見込める巨人戦だからか、何が何でも試合を開催するという雰囲気があった)
しかしその3年後、もっと恐ろしい事態が待っていたのだが……あえてその説明は省く。
83:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:42:11.20 ID:d●ckVOEH
あれ結局まだ誰も分からんの?
86:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:42:11.89 ID:2+O5PUGL
「公共交通機関がストップするなら、車を使えばいいじゃない!」しかしそううまく事が運ばないこともある、と言う教訓。
1979年7月12日、大阪・日生球場で近鉄との試合を終えた南海は、次のカードである後楽園球場での日ハム戦に間に合わせる為、 試合後すぐに大阪から東京までユニフォームや野球道具を積み込んだトラックを走らせた。当然急ぐから、東名高速を通らなくてはいけない。
しかしその前日夜、東名高速道路の日本坂トンネル(静岡市)で、小さな事故渋滞を発端とする大火災が発生していた。「日本坂トンネル火災事故」である。
この大事故に南海のトラックが巻き込まれることは勿論無かったが、火の勢いが物凄いため全く鎮火できず東名高速道路は一部が完全にマヒ。
つまり、このトンネルの周辺を通行するには平行する一般道へと下りなければ行けないのだが……東名高速は日本の大動脈と言われている高速道路である。
大量の貨物トラック、一般乗用車が大挙して一般道へ押し寄せ、大渋滞を引き起こしていた。チームのトラックは、そっちに巻き込まれてしまったのである。
果たして翌日13日、後楽園球場での試合開始前までに、南海のユニフォームも野球道具も届くことはなかった。道具がなければどうやっても無理なものは無理。
ユニフォームと道具が届かないという理由での中止は、かなりレアなケースと言える。
87:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:42:15.88 ID:DgCRqf5E
5年くらいは中止してたのかと思った
98:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:42:48.60 ID:T1uguuk8
105:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:43:18.71 ID:2+O5PUGL
1975年に行われた夏の高校野球(第57回)は、記録的な大雨により、試合日程が延びに延びていた。かかった日数は、8月8日~24日の16日間。
「大したことねえじゃん、今と同じぐらいやろ」と思うかもしれないが、当時は雨天順延があっても大体11~13日間ぐらいのだったのである。
いつもよりたった数日延びただけ、という小さな問題ではなかった。8月23日と24日には甲子園での阪神-ヤクルト戦が開催される予定なのである。
この緊急事態に優先されたのは、もちろん(と言うのも何だが)高校野球の方。あえなく阪神戦は高校野球に押し出され、中止・順延と相成った。
ちなみにこの大会には原辰徳・岡部憲章擁する東海大相模も準々決勝まで駒を進めており、優勝した市立習志野高校の優勝投手は小川淳司である。
110:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:43:47.55 ID:oJtHNfI9
111:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:43:53.84 ID:9cwEmGmB
115:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:44:02.68 ID:JAeHSCIf
116:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:44:04.93 ID:2+O5PUGL
理由からしてもうお察し状態だが、もちろん終戦直後の混乱期の話である。
1946年9月21日、西宮球場で行われる予定だったゴールドスター(後にオリオンズに合併される大映の前身)-セネタース(後の日ハム)戦でのことである。
予定時刻通りに開場されお客さんも入り始め、試合開始までもう間もなくという時間になっても、セネタースのメンバーは誰一人として居なかった。
不審に思ったゴールドスターの関係者がセネタースのマネージャーに連絡をとったところ、「えっ、今日中止ですよね?」「は?」
……セネタースが泊まっていた宿舎周辺は大雨。そう遠くない西宮球場では降っていない。セネタースナインは雨天中止と勝手に勘違いして遊びに行ってしまったのだ。
携帯電話なんて無いし、遊びに行く場所を一々言付けてもいない。マネージャーが何とか選手を集めようとするも、あえなく試合は中止となった。
その1年後の6月6日、今度は後楽園球場で行われる予定だった南海-阪急戦が全く同じ理由で中止が決定した。阪急ナインの勘違いであった。
戦後の食糧難で東京では食糧が不足しており、当時は田舎だった松戸に宿舎を構えていた阪急。松戸では大雨、東京では晴れ。あとはお察しである。
電話は今のように便利でなく、まず電話交換士に申し込んで繋いでもらうのが普通で長いこと待たされる。その上宿舎にいくら掛けても電話は繋がらず……。
※なお、この2試合はルール上「放棄試合」となり、記録上は9-0で現地にいたチームが勝ちとして扱われる。
124:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:45:11.62 ID:2+O5PUGL
Wikiと手持ちの資料を参考にしました。
126:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:45:20.08 ID:1xQOVFxW
155:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:47:31.75 ID:Uko7Ue5P
おもろかったで
188:風吹けば名無し:2013/02/16(土) 23:51:19.85 ID:MDwA/+QO
引用元:プロ野球の珍しい試合中止で打線組んだwww