1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:23:40.39 ID:W0z88h450
2:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:26:29.91 ID:lxopwGN80
6歳の娘がクリスマスの数日前から欲しいものを手紙に書いて窓際に置いておいたから、早速何が欲しいのかなぁと夫とキティちゃんの便箋を破らないようにして手紙を覗いてみたら、こう書いてあった。
「サンタさんへ おとうさんのガンがなおるくすりをください! おねがいします」
夫と顔を見合わせて苦笑いしたけれど、私だんだん悲しくなって少しメソメソしてしちゃったよw
昨日の夜、娘が眠ったあと、夫は娘が好きなプリキュアのキャラクター人形と「ガンがなおるおくすり」と普通の粉薬の袋に書いたものを置いておいた。
朝、娘が起きるとプリキュアの人形もだけれど、それ以上に薬を喜んで「ギャーっ!」って嬉しい叫びを上げてた。
早速朝食を食べる夫の元にどたばたと行って
「ねえ! サンタさんからお父さんのガンが治る薬貰ったの! 早く飲んでみて!」
っていって、夫に薬を飲ませた。
夫が「お! 体の調子が、だんだんと良くなってきたみたいだ」と言うと娘が、
「ああ! 良かった~。これでお父さんとまた、山にハイキングに行ったり、
動物園に行ったり、運動会に参加したりできるね~」……っていうと夫がだんだんと顔を悲しく歪めて、それから声を押し殺すようにして「ぐっ、ぐうっ」って泣き始めた。
私も貰い泣きしそうになったけれどなんとか泣かないように鍋の味噌汁をオタマで掬って無理やり飲み込んで態勢を整えた。
夫は娘には「薬の効き目で涙が出てるんだ」と言い訳をしてた。
その後、娘が近所の子に家にプリキュアの人形を持って遊びに行った後、夫が
「来年はお前がサンタさんだな……。しっかり頼むぞ」と言ったので、つい私の涙腺が緩んで、わあわあ泣き続けた。
お椀の味噌汁に涙がいくつも混ざった
3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:29:35.68 ID:lxopwGN80
小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。
さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。
でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。
4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:30:28.00 ID:lxopwGN80
流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、
親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。
で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。
でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。
結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。
翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、
俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。
親父は去年死んだ。病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら
「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」とか何とか言った俺に対し、
親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。
弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。
5:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:32:16.33 ID:lxopwGN80
俺は小さい頃、親父と毎日のように野球してた。
でも、中学生くらいになって、いろいろ忙しくて、
野球は続けてたけど、親父とはキャッチボールすら一緒にしなくなってた。
でも、だからといって仲が悪くなったわけでもなく、夕ご飯のときとか、一緒にいるときはよく喋ってた。
そんな中2の夏、親父は肺の病気にかかった。そして、入院してからすぐ、1ヶ月ほどで逝っちまった。
俺は泣いた。そりゃ家族なら悲しいからな。でも俺は、母さんから親父の生前の話を聞いてもっと泣いた。
親父入院してるとき、毎日のようにこう言っていたそうだ。
「もう一回、あいつとキャッチボールしてえな。でも無理か。
今はあいつ、土日は家にいないし。頼んでも断られるのがオチだな。」
俺は親父にキャッチボール頼まれて嫌だなんて言う息子じゃねえよ。
今はもっとうまく投げれるのによ。親父から教えてもらったスライダー。
6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:34:02.33 ID:lxopwGN80
やめた
7:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:39:10.39 ID:FQ4AUeEd0
去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。
使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。
その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。
40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。
葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。
最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。
私の一生の保護メールです。
「お前からのメールがやっと見られた。
返事に何日もかかっている。
お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
孫が生まれたら毎日子守してやる。」
8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:39:25.82 ID:NxeKJUxH0
まだもってるなら続けてくれ
9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:40:09.61 ID:W0z88h450
打てねぇわ
10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:40:48.11 ID:Kr/6ra2b0
まじで涙が出るもんだな
11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:41:06.77 ID:lxopwGN80
自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、
夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。
大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、
しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、凄く吃驚して変に印象に残ってる。
その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも
「夢でも見たんだろう」と言っていたので、何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。
が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。
当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。
寝顔をそっと覗き見るのが日課で、このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。
そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。
やばい、良く寝ていたのに、ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、
私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。
ろくに顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。
しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、
こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。
それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、どうしても本当のことが言えなかった。
嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。
内心は萌えつつも、明日目が腫れたらどーしてくれる!!と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった。
13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:41:57.22 ID:FQ4AUeEd0
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/12/21(水) 02:44:22.56 ID:Y6BXBse90
俺の親父は
小学校の卒業式にも中学の入学式も卒業式も
高校のだって来なかった。
反抗期の俺を怒ることもないし、どんなに頑張っても褒めてもくれなかった。
部活のレギュラーになった時も。表彰された時も。
それでも俺が小2の頃に、
子供守って殉職した警官の親父は
今でも俺の誇りなんだよ。
16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:46:26.09 ID:dXYJxdeQ0
17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:47:21.43 ID:lxopwGN80
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。
途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ。
最後の頼みの綱になー。がはははは!
これが俺の教育だよ。
でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:48:08.05 ID:lxopwGN80
俺「十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。
金がない理由は親にいえない事が多いわな!
がはははは!
女にでもはまったか?
このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。
必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。
くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:50:57.74 ID:lxopwGN80
私の父はとても短気で、すぐにキレるし怒鳴るし、でも普段の時は無口でいつも煙草を吸っている、そんな父があまり好きではなかった。
私のこと、大切に思ってくれてるのかな?と思うときも時々あった。
そんな中、私は中学受験をするために勉強をしていた。
家で教えるのは父の係で、毎日毎日父が付きっきりで勉強をした。
でも、出来なかったら「ここはさっき教えたばっかりだろ」と言って怒られたりした。
でも、いい中学校に行きたくて頑張って頑張って勉強した。
そして、あっという間に時は過ぎてとうとう第一志望の中学の合格発表の日。
正直いって自信があった。
でも結果は不合格、ショックで涙も出なかった。
その帰り、父が車で迎えに来てくれた。
「どうだった?」
「ダメだった…」
「…そうか」
父はそう言ってあとは何も言わなかった。
車に乗ってしばらくしてから、私はふとバックミラーをみた。
すると、あの一見冷たい父が目を真っ赤にして歯を食いしばって、必死で涙を堪えていた。
それか私が見た初めての父の涙だった。
その瞬間、私の目からも大粒の涙が止めどなく出た。
そんな父が今は大好きです。
22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:52:24.42 ID:lxopwGN80
ウチのオヤジも猫嫌いだったなー。近くへ寄って来るとしかめ面で追っ払ってた。
オヤジは晩酌が日課だったんだが家族が食事が終わってもいつも一人で台所のテーブルで飲んで居た。
ところがいつの間にか飼ってた猫がオヤジの足元でツマミの刺身を貰うようになっていた。
猫が無言で足元に座るとオヤジもナイターを見ながら足元に刺身をちぎって落としてやる。
猫もさも当たり前のようにむしゃむしゃと食ってた。食い終わってから猫はいつも一声泣いてからその場を去るようになった。
しばらくして猫は病気で死んだ。
猫がお骨になって帰って来た日も仕事から帰ったオヤジはいつもと変わらず晩酌を始た。
お袋がいつものように刺身をツマミにオヤジに出した。
オヤジが意外な事を言った。
「オイ、多いぞ。食い切れん。猫に供えてやれ」と。
それから一週間オヤジは同じことをお袋に言った。
いつも一人酒に付き合ってくれた仲間へのオヤジなりの供養だったらしい。
もうオヤジも鬼籍に入って久しいがオレのオヤジの思い出の一端。
23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:52:48.56 ID:inVWTL51O
泣いた
25:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:57:07.62 ID:lxopwGN80
今日は結婚記念日でカミさんと外食した。
レストランはそこそこに混んでいてガヤガヤうるさかった。
特に隣の家族がうるさくって、カミさんとちょっと顔を見合わせて苦笑いをしたぐらいだった。
父親が子供にいろいろ質問しては笑い、っていうのがえんえん続いてこっちもうんざりしてた。
しかも、その父親がやたらと大きく咳き込むので実際鬱陶しかった。
しばらくすると、ウチのカミさんがその家族の父親を見て、
「ちょっとあのお父さん見て」と言うので、見つめるのも失礼なので向いの鏡越しに彼の後姿をみてみた。
咳き込むたびにハンカチを口に当てていて、それをポケットにしまうのが見えた。
ハンカチは血だらけだった。
咳き込んだあとは赤ワインを口に含んで子供たちにばれないよう大声で笑いごまかしていた。
向いに座っていた彼の奥さんは笑っていたが、今にも泣きそうな顔をしていた。
奥さんはどうやら事情を知っているみたいだった。
その父親が何らかの重い病気なのは明らかだった。
うちのカミさんはちょっともらい涙していた。
帰りに俺は無神経にも
「今日はなんか暗い結婚記念日になっちゃったな。台無しだよ。」
とカミさんにいった。
カミさんはちょっと沈黙を置いて、
「かっこよかったじゃんあのお父さん。ああいうお父さんになってね」
って涙声で俺に言った。
俺もちょっと泣いた。
24:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:55:57.90 ID:FQ4AUeEd0
父が食道癌になりました。
ウチは癌血統ではなかったので、この告知は本当に驚きました。
私は父と、この10年ほど腹を割って話したことがなく…
何かあれば衝突ばかりで。。。
大事な話は、母を通して話してました。
喧嘩ばかりというよりは、ロクに話したことがないのです。
だから、
「お父さん、体の調子が悪いんだ」
そんな言葉を耳にしても、気にもとめずに、いつもの様に遊び歩いていたんです。
そんな父が緊急入院した時は、本当に目の前が真っ暗になりました。
食道癌のせいで、食べ物が飲み込めずに痩せ…
無理に飲み込もうとしたせいで、腫瘍から出血を起こし、血液が殆どない状態で、緊急入院となったのです。
私と母は、何とか暗い気持ちにならないように父の検査が終わるのを待ちました。
「癌な訳ないから、きっと大丈夫!」
そう言い合ってました。
が、
下された診断は、癌でした。
父は肝硬変も患っているらしく、肝臓が弱りすぎて手術は不可能らしく、放射線治療となりました。
26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:57:22.14 ID:FQ4AUeEd0
その告知を家族と一緒に聞いていた父は、主治医に急に怒り出しました。
「何故、こんなことを家族に聞かせるんだ!
俺だけに言えばよかっただろう!?」
お父さん、普通逆だよね?(笑)
“本人に聞かせないように!”って家族が気を使うよね?
何もこんな時にまで、家族を守ろうとしなくていいんだよ。
怖い時には、震えて泣いていいんだよ。
皆の前でわざと強がって、布団に顔を隠して泣かなくていいんだよ。
お父さん、私はあなたのことをわかろうとしなかった。
事業に失敗したり、借金抱えたり…頼りにならない父親だとばかり思ってた。
こんな大人にだけはなりたくないと、思ってた。
でも、今は…
こんな家族思いな父の娘に生まれてきて本当によかった。
こんなに優しくて、思いやりのある父を心から尊敬します。
お父さん、一緒に頑張ろうね。
うまく書けなくてゴメンなさい。。。
28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 22:59:00.52 ID:2DFb8mHH0
29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:00:03.87 ID:lxopwGN80
先日、二十歳になった日の出来事です。
「一日でいいからうちに帰って来い」
東京に住む父にそういわれ、私は就職活動中なのにと思いながらしぶしぶ帰りました。
実家に着いたのは夜で、祖父母と妹はもう既に寝静まっていました。
父だけが起きていて、そのあとしばらく現状を話していたのですが、会話もとぎれ、さぁ寝ようという時、いきなり父は一枚の写真を私の前に差し出しました。
それは、父が若いころの写真。隣には綺麗な女の人が写ってる。
「お前と**(妹の名前)を産んでくれた母さんだ」
父はそういって、初めて本当のことを話してくれました。
母はあまり体が強い人ではなかったそうです。私を産むのですらやっとで、未熟児だった私よりずっと後に退院したこと。
妹が出来たとき家族中の反対を押し切って産むと決めたこと。
生まれたばかりの妹と、私を抱いて死んだこと。私達姉妹の名前は母さんの名前から取ったこと。
母さんが寂しくないようにと、私達の写真や父さんとの昔の思い出の写真を、全て棺に入れたこと。
だけどそれでは悲しくて、一枚だけ取っておいたこと。
セブンスターをいつものようにふかしながら、父はいつもより歳をとって見えました。
30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:00:47.34 ID:lxopwGN80
「お前達にお母さんがいなくて寂しい思いをさせたこと。コレが一番お前達に申し訳ないと思っている。すまなかった!」
父さんはそういって、私に泣きながら土下座をしました。写真の中の父と母の笑顔が、とてつもなく切なかった。
母がいない分、祖父と祖母に育ててもらうのが多くて、それが当たり前だと思っていたから寂しくなんて無かったのに。
土下座している父と一緒に、私も泣いてしまいました。
父は私達が二十歳(大人)になるまで、このことをずっと一人で抱えていたのだろうか。
そう思ったら、あまり体の大きくない父の背中が、切ないくらい大きく見えた。
母以外の女性に見向きもしない父を、誇らしいと思った。
お母さんがいないということ。だからお母さんの分まで愛情を注いでくれたこと。今ならすごくよく分かります。
お父さん。
ありがとう。
お母さん。
産んでくれてありがとう。
就職活動、頑張ります。
31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:01:31.44 ID:FQ4AUeEd0
俺が小学5年のとき親父が死んだ。
過労死ゆえの朝の出勤途中に死んだ。
親父は最期バスを途中でおり病院を求め、まだ開いていない小児科に駆け込むと同時に事切れたそうだ。
たまたまバスで一緒だった部下がなぜ気づかなかったのかと母と俺の前で泣いて詫びた。
前日遅くに帰ってきたから俺は前日の親父の顔を見てない。
一昨日の屋根の雪降ろしで親父の頭に雪を投げて怒鳴られた顔が最期の思い出だ。
相撲の大巨人大内山のことを話してくれた。
親父とずっと喧嘩してて口を半年以上聞いてなかった姉は親父の死を聞いて卒倒した。
今まで家事など手伝いもしなかった姉が葬儀の準備や片付けは率先して行い、眠りもせずに準備した。
学校の友達が葬式に来てくれて「ウス、元気だせよ」と言ってくれた。
火葬場に棺おけが入る瞬間すべてがよぎった。
あれが走馬灯なんだと。
走馬灯ってのは走ってるときには見えないんだと。
走り終わって何か感覚的に感じるものだと。
火葬場の職員が機械に点火し、棺おけが入っていく。姉と母は泣きながら抱き合っていた。
俺は叔父の手を振り払い、機械の入り口に駆け寄り
「ありがとうございました!・・・・・11年間育てていただきありがとうございました!!!
うっうっうっ」
そのまま火葬場から走って近くの森で号泣した。
32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:02:39.04 ID:W0z88h450
33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:06:56.20 ID:lxopwGN80
三年前に親父が死んだんだけど、
ほとんど遺産を整理し終えた後に親父が大事にしていた金庫があったんだよ。
うちは三人兄弟なんだけど
おふくろも死んじゃってて誰もその金庫の中身を知らなくてさ
とりあえず兄弟家族みんな呼んで、その金庫をあけることにしたんだけど
これがまた頑丈でなかなか開かないんだよ。
仕方ないから鍵屋を呼んで
開けてもらうことにしたんだけど、なかなか開かなくてさ
なんとなく俺たちは子供の頃の話を始めたんだよ、
親父は昔からすごい厳格で子供の前で笑ったことも一度もなくて旅行なんてほんとにいかなかった
子育てもお袋に任せっきりで餓鬼の頃はマジで親父に殺意を覚えたよ
で、一番下の弟が、そういうわけだからしこたま溜め込んでるんじゃねえか?
みたいなことを言い出して、その後に真中の弟も親父が夜中に金庫の前でニヤニヤしながらガサガサやってんのを見たとかいったから
俺もかなり金庫の中身に期待を抱いちゃったんだ
んで、そのときに鍵屋がちょうど「カギ、開きましたよ」といったから
ワクワクしながら金庫の前に行き、長男の俺が金庫のドアを開けたんだ
そしたら、まず中からでてきたのは、
古びた100点満点のテストなんだ
それをみた一番下の弟が
「これ、俺のだ!」といって俺から取り上げたんだよ
34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:07:50.87 ID:lxopwGN80
次に出てきたのは、なんかの表彰状、
すると次は次男が”俺のだ”といいだして
その後にネクタイが出てきたんだ、
見覚えがあるなあと思って気がついて叫んじゃった
「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ」
その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきたんだよ
その中には子供の頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきたんだ
それを見た俺の嫁さんが泣き出しちゃってさ、
その後にみんなもなんだか泣き出しちゃって、
俺も最初は、なんでこんなものが金庫のなかにあるのかが分からなくて
なんだよ、金目のものがねーじゃんとか思ってちょっと鬱になってたんだけど
少したって中に入っていたものの意味が理解できたとき、
その写真を持ちながら肩震わして泣いちゃったんだ。
人前で初めて本気で号泣しちまったよ
そこで鍵屋が、きまずそうに
「あの、私そろそろ戻ります」とかいったんで
みんなが、はっとして涙をにじませながら
「ありがとうございました」
このとき、俺は親父がどんなに俺たちのこと想っていてくれたかと
さっきまでの自分が金目当てで金庫を開けようとしたこと
子供の頃に親父に反感を抱き、喧嘩ばっかりしたことが恥ずかしくて仕方がなかった
親父は金よりもほんとうに大事なものを俺たちに遺していってくれたと思っている
35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:10:00.74 ID:FQ4AUeEd0
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて、「それほど持たないだろう」と言われ、入院前に「今生最後の写真はせめて家族と・・・」と撮った写真らしかった。
俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」とぶっきらぼうだったらしい。
母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、見たがらないものをあまり無理強いするのもよくないと思って、そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう。崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。
36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:11:14.90 ID:cXsZlHhL0
コピペじゃねーけど何か感化されたから俺の実体験話すわ
高校の時の俺は反抗期真っ盛りで
ある日バッグからタバコを見つけられた
漁られたことに逆ギレした俺は親父にぶん殴られた後、家を飛び出して真夜中ふらふらしてた
当然鬼電かかってきて、うざいからしぶしぶ電話に出たら『ふざけたことしてるとバイト先に言って辞めさせてもらうぞ』と言われ、ビビって帰宅
俺も親父も落ち着いていてリビングで二人でずーっとだんまりしてた
というか俺は意地になってて中々謝れなくて謝るタイミングを探してた、親父は謝られるのを待ってるもんだと思ってた
20分くらい経った時に
『俺はお前を怒った後いつもお前が本当にどうしようもなくグレたらどうしよう、道を外れてしまったらどうしようって不安になるんだ』
と涙を流しながらポツリと言った
それを聞いた俺は大号泣して謝った
もう6年くらい前のことだけどよく覚えてる
今は専門を出て働いてるんだけど、感謝の気持ちを込めて夜な夜な親父に手作りのベストを作ってる
今日はもう寝ようと思ったけどもう一踏ん張り頑張ります
37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:13:26.75 ID:lxopwGN80
私の父は、高校の時野球部の投手として甲子園を目指したそうですが、
「地区大会の決勝で9回に逆転されあと一歩のところで甲子園に出ることができなかった」と、小さい頃良く聞かされていました。
そんな父の影響もあってか、私は小さい頃から野球が大好きで、野球ばかりやっていました。
父も良くキャッチボールをしてくれました。
そして私は、小学5年から本格的に野球を始め、高校に入った私は迷わず野球部に入部しました。
ところが、高校入学と時を同じくして、父が病に倒れてしまいました。
その後入退院を繰り返し、高校1年の冬からはずっと病院に入院したきりになってしまいました。
父の体がどんどん細くなっていくのを見るにつれ、なんとなく重大な病気なのかなとは感じました。
父は、病床で私の野球部での活動内容を聞くのを一番楽しみにしてくれていました。
そんな高校2年の秋、私はついに新チームのエースに任命されました。
それを父に報告すると、一言
「お前、明日家から俺のグローブ持って来い!」と言われました。
翌日病院にグローブを持っていくと、父はよろよろの体を起こし、私と母を連れて近くの公園の野球場に行くと言いました。
公園に着くと父は、ホームベースに捕手として座り、私にマウンドから投げるように要求しました。
父とのキャッチボールは、小学校以来でした。
しかも、マウンドから座った父に向かって投げたことはありませんでした。
病気でやせ細った父を思い、私は手加減してゆるいボールを3球投げました。
すると父は、怒って怒鳴り、立ち上がりました。
「お前は、そんな球でエースになれたのか!?お前の力はそんなものか?」と。
私はその言葉を聞き、元野球部の父の力を信じ、全力で投球することにしました。
38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:14:08.43 ID:lxopwGN80
父は、細い腕でボールを受けてくれました。
ミットは、すごい音がしました。
父の野球の動体視力は、全く衰えていませんでした。
ショートバウンドになった球は、本当の捕手のように、ノンプロテクターの体全体で受け止めてくれました。
30球程の投球練習の後、父は一言吐き捨てるように言いました。
「球の回転が悪く、球威もまだまだだな。もう少し努力せんと、甲子園なんか夢のまた夢だぞ」と。
その数週間後、父はもう寝たきりになっていました。
さらに数週間後、父の意識は無くなりました。
そしてある秋の日、父は亡くなりました。
病名は父の死後母から告げられました。
ガンでした。
病院を引き払うとき、ベッドの下から一冊のノートを見つけました。
父の日記でした。
あるページには、こう書かれていました。
「○月○日 今日、高校に入って初めて弘の球を受けた。弘が産まれた時から、私はこの日を楽しみにしていた。
びっくりした。すごい球だった。自分の高校時代の球よりはるかに速かった。
彼は甲子園に行けるかもしれない。その時まで、俺は生きられるだろうか?
できれば球場で、弘の試合を見たいものだ。
もう俺は、二度とボールを握ることは無いだろう。
人生の最後に、息子とこんなにすばらしいキャッチボールが出来て、俺は幸せだった。ありがとう」
40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:15:23.20 ID:FQ4AUeEd0
ちょっと休憩
最近お笑い番組にはまったらしく、エンタやレッドカーペットなんかを
録画していつもみてる。このまえ風呂場から何かお経みたいなのが
聞こえてきたからドア開けて「おとうさん、何してるの?」と聞いたら
「いや、別に何でもない」と恥ずかしそうに黙ってしまった。
ドア閉めて耳済ませてたら、こっちの気配察して黙ってる。なのでいったん
脱衣所のドアを開けて閉めたら、私が出て行ったと思ってまた始めた。
ジョイマンのラップの練習をしていた。
41:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:16:21.25 ID:lxopwGN80
死んだ親父はよく食いに連れてってくれたな
うまいんだけど、親父は食うのが早くて、
食い終わるとじっと怒ったよな顔でオレが食べるのを見てた。
「早く食え」って言ってるみたいでちょっとヤだった。
こないだ初めて子供とラーメン屋に言ったら、やけにおいしかったらしく
ガツガツ食うわ、あせって水飲むし、ちっこい手で丼つかんでスープ飲んでハァハァいってる
可愛かった
そしたら「ねぇなんでじっと見てるん?怒ってる?」
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:19:43.79 ID:lxopwGN80
私、ウエディングプランナーをしてて沢山の幸せのお手伝いをさせてもらったけど
忘れられない結婚式があります。
新婦は私より大分年下の10代で可愛らしい子、新郎は彼女より20歳ほど年上の優しい方でした。
年の差カップルは珍しくないけどこれが一筋縄では行かなかったのよね…。
新婦はお父様に育てられて、そのお父さんが「結婚は勝手にしろ。でも式には出ない」。
でも2人は「みんなに祝ってほしい」と。
ええ、頑張りましたよ。新婦のご実家に2人と一緒に何度も行きました。
頭も何回下げたかわかんない。
「お前は関係ない」と言われました。その通りです。
でも私は2人の結婚式を2人が望むものに、
最高の1日にしたかった。それが私の仕事。
46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:20:17.89 ID:lxopwGN80
意見や愚痴がどっちも私に集まってきて正直キツかった。
面倒くさいと思ったこともある。
でもある日「お前一人と話したい」と電話がかかってきたんです。
すごい怖かったよ。何を言われるんだろう?と。
でさ、約束した日に指定されたところに行ったらさ、お父さんいつもは顔も話し方も怖いんだけど、
その日はすごく大人しく小さな声で、娘さんが生まれた日の話、小学校の運動会で張り切ったら「お父さん恥ずかしい」と言われた話、
中学の頃は話し掛けてもろくに答えてくれなかったのに娘さんが修学旅行から帰ってきた日に仕事から帰ったら
テーブルにお土産の携帯ストラップが置いてあって本当に嬉しくて今でも付けてること、「結婚したい人がいる。」と初めて言われた日のこと…。
色々話してくれました。
「娘が本当に可愛い。娘が選んだ男に間違いはないと思ってる。でも気持ちの整理がつかない」
って。泣いたね、あれは。
最後にお父さん、恥ずかしそうに
「結婚式ってどんな服を着ればいいんだ?もう何年も服を買ってないからわからないんだ」って。
47:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:24:34.81 ID:lxopwGN80
先日ホームセンターに行ったときの事。 私が品物を選んでいるすぐ後ろに親子がいた。
で、5才ぐらいの男の子が、ペンでタッチすると国名を読み上げる地球儀をえらく気に入ったらしく、
しばらくタッチしまくっていた。
耳障りだなぁと思いつつも聞いていたら『オオオオオ-ストレィリア~オッオッオオ-オ-スト…ペキン!!ペッペッペッ… (高速でタッチして)ペペペペペキン!!』と、にわかDJのようなことをし始めた。
その子の父親は『止めなさい!』と言いながらもツボにはまったらしく、
『イヒッヒッ…ブェッ!!』と吹き出す始末。
私もその父親の笑い方と、子供の見事なDJっぷりに肩プルプルさせてたのだが子供はもう夢中でDJ続行。
そして『ブラッ…ブブブブッブラブラッ…ちんち-ん!!』と、今度は嬉しそうに叫びだした。
父親は、慌てて取り上げようとしたが、それをうまくかわしながら
『ブッブブ…ブラブラちんち-ん!!ニホン(日本)…パパと僕で二本!!』
その瞬間我慢出来なくて吹き出しちゃったら、
それに気付いたのか-父親は子供の頭をひっぱたいて逃げるように去って行った。
48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:25:45.12 ID:FQ4AUeEd0
小学4年の時に母が死んだ
小学6年の時に北海道から東京へ転校
中学の時は片親しかいないことでイジめられた
高校では父が一時過労で入院、晩御飯が食えないことはよくあることだった
大学生になった時、はじめて恋人が出来るが父が発病、病気の関係から入院し
恋人どころではなくなったので別れた
翌年、車にはねられ足を骨折
父に心配かけまいと病院から電話して毎日元気だよと言った
3ヶ月後父は病状が回復し退院、その1ヶ月後に自分が退院
退院して家に帰ると父がいなかった
次の日の朝、父は帰ってきた
「すまない時間がかかった」父はそう言ってスーパーの袋から高級な肉をどさどさ出した
びっくりした、最初は正直盗んできたのかと思ったがちゃんと買った物だ
僕が疑っていたのを知っていたかのように購入した証拠のレシートを出した
次に親父に殴られた
入院していたのを黙っていたこと、そして親父は言った「俺を殴れ」と
こんな頼りにならない親父だ、お前は俺を殴る権利がある
お互いに殴り合い、疲れたところで肉を焼いた
ごはんと肉と野菜の簡単な組み合わせだったけど、とても美味しかった
時計を見ると午後8時だった
同時に親父も時計を見ていた「もうそろそろか」と親父は言った
何がもうそろそろ何だ?と聞いたら「すぐ分かる」と親父が言った
10分ほどしてインターホンが鳴った
親父が出ろと言うので、玄関のドアを開けてみた
すると恋人がいた。泣いてた。俺も泣いた。親父だけが笑ってた。
それから現在に至るまでずっと楽しい生活を送ってる。
49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:25:58.43 ID:scMZZwDdT
つらいぜ
50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:28:07.90 ID:lxopwGN80
一年前、俺の親父が死んだ。
という話で泣いたと言うのが良くあるが、俺は泣かなかった。
俺は北海道で漁師をやってる。
ガキの頃から親の手伝いをして骨の髄まで漁師仕事は叩き込まれた。
すげー厳しい親父だった。
どんくらい厳しいかってもう漫画の世界。
ゲンコツなんて毎日のように食らってた。
そのゲンコツのお陰で今も美味いメシ食わして貰ってる。
その親父は6年前の冬に胃癌で死んだ。
やつれて別人みたいだったけど、中身は厳しいまんまだった。
苦しいだろうに弱音の一つも吐かねーの。
遺言は「船は任せたからな」だった。
親父が死んだってのを実感したのは船の上。
仕事始める時の馬鹿でかい掛け声が聞こえなくて「あぁ、いないんだな」って思った。
代わりに自分で叫んでみたら思いの外気持ち良くて今まで損してた気分だった。
俺は今漁師をやってる。
別に泣く事なんか何も無いよなぁ、親父。
51:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:28:18.53 ID:FQ4AUeEd0
辛くなってきたからROMるわ(´・ω:;.:...
52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:33:38.35 ID:lxopwGN80
父親が発売日にDQの4を買ってきた。
私と弟とで順番にクリアしたあと、父親はなぜかずっと4章のトルネコの序盤(店でひたすら武器とか売りまくる)を続け、それだけで5万も6万もゴールドを貯めていた。
思えば父親は2でも全員のLVをMAXまで上げたり単純作業が好きなのかなと思っていたが
もう、一度クリアしてしまったそれらのゲームでまた私や弟が遊ぶときにキャラが強かったりお金が多いと喜ぶだろうとそれだけのためにちょっとズレた愛情表現をしてくれていたってことがわかった。
私も弟も成人し、実家を離れて生活をしていた頃、父が入院した。
お土産に、なぜか私はGBAとGB版のDQ1&2、そして3を買って持って行った。
父は骨と皮だけになっていた。
私がお土産を渡すととても喜んで、ヒマな入院生活をそれと共に過ごしたらしい。
もう、子供のために単純作業続けなくてもいいんだよ、お父さん。
いっぱい冒険してね、お父さん。
父は普通の食事が喉を通らなくなり、DQ3のパーティにこんな名前を付けた。
勇者コロッケ 武闘家つくね 僧侶とんかつ 商人おでん
「はよ元気になってこれ食べたるねん」と笑う父。
ガリガリに痩せた父の姿を見たのはこれがさいごだった。
今では食べられなかったあのころのカタキをとるかのように体重も激増!
ムチムチ状態で「8まだ出えへんか!」と電話してくる父です。退院おめでとう。
55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:37:25.99 ID:W0z88h450
こういう元気なトーチャンが今もいてくれたらなぁ……(´;ω;`)
54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:37:02.54 ID:lxopwGN80
それに比べて、親を喜ばせることは何と簡単なことだろうか。
それほど簡単なことを私はしてこなかった。
56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:39:17.81 ID:lxopwGN80
私が小学2年の時に母が再婚した。
私は瓜二つと言われるくらい実父に似ているので、
義父としては色々複雑なところもあっただろうに、
そんなことは微塵も感じさせない人だった。
先日、一緒に買い物に出かけた時に店員さんに、
お父様に目元が良く似てると言われた。
よくあるお世辞とその場では軽く流したが、車の中で二人になると義父は、
「見え透いたお世辞いっちゃって」と冗談ぽく笑って言った。
「ペットだって飼い主に似るって言うし、こんだけ長いこと一緒にいたら、
少しくらい似てきてもおかしくないんじゃない」と返したら 、
「俺みたいな厳ついのと似てきたら、○○(私)は女の子なのに困っちゃうな」
と笑っていた。
後日、母に「お父さん毎日髭そりながら『似てきたかあ……』って言ってる」
と言われてちょっと萌えた。
58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:44:52.97 ID:lxopwGN80
ヘタレプログラマーは,今日も仕事で疲れきって,遅くなって家に帰ってきた。
すると,彼の5歳になる娘がドアのところで待っていたのである。
彼は驚いて言った。
「まだ起きていたのか。もう遅いから早く寝なさい」
「パパ。寝る前に聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「パパは,1時間にいくらお金をかせぐの?」
「お前には関係ないことだ」
ヘタレプログラマーである父親はイライラして言った。
「なんだって,そんなこと聞くんだ?」
「どうしても知りたいだけなの。1時間にいくらなの?」
女の子は嘆願した。
「あまり給料は良くないさ・・・20ドルくらいだな。ただし残業代はタダだ」
「わあ」
女の子は言った。
「ねえ。パパ。私に10ドル貸してくれない?」
「なんだって!」
疲れていた父親は激昂した。
「お前が何不自由なく暮らせるためにオレは働いているんだ。
それが金が欲しいだなんて。だめだ!早く部屋に行って寝なさい!」
女の子は,黙って自分の部屋に行った。
59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:46:31.68 ID:lxopwGN80
しばらくして,父親は後悔し始めた。
少し厳しく叱りすぎたかもしれない...。
たぶん,娘はどうしても買わなくちゃならないものがあったのだろう。
それに,今まで娘はそんなに何かをねだるってことはしない方だった・・・
男は,娘の部屋に行くと,そっとドアを開けた。
「もう,寝ちゃったかい?」
彼は小さな声で言った。
「ううん。パパ」
女の子の声がした。少し泣いているようだ。
「今日は長いこと働いていたし,ちょっとイライラしてたんだ・・・
ほら。お前の10ドルだよ」
女の子は,ベットから起きあがって,顔を輝かせた。
「ありがとう。パパ!」
そして,小さな手を枕の下に入れると,数枚の硬貨を取り出した。
父親はちょっとびっくりして言った。
「おいおい。もういくらか持ってるじゃないか」
「だって足りなかったんだもん。でももう足りたよ」
女の子は答えた。
そして,10ドル札と硬貨を父親に差しのべて...
]
「パパ。私,20ドル持ってるの。これでパパの1時間を買えるよね?」
60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:49:12.79 ID:Ez0/tcCwO
61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:51:55.88 ID:lxopwGN80
62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/23(金) 23:56:04.65 ID:+o1iQqgi0
今のうちから葬式に坊さんはいらないだの、墓立てなおしてくれだのと
馬鹿野郎が、いいから生きててくれよ、まだまだこっからだろう
63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/11/24(土) 00:00:09.51 ID:VwqAd7qn0
引用元:カーチャンコピペもいいがトーチャン系コピペで泣かせてくれ